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Voicyそなえるらじお #257 日本史上最悪の炭鉱被害…107年前の九州・方城炭鉱事故

最終更新日:

執筆者:高荷智也

Voicyそなえるらじお #257 日本史上最悪の炭鉱被害…107年前の九州・方城炭鉱事故

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、12月15日(水)、本日も備えて参りましょう!

かつてはエネルギー自給国だった日本

本日のテーマは「炭鉱事故」です。

  • 本日12月15日は、107年前に日本史上最悪の炭鉱事故が発生した日です。
  • 1914年・大正3年の年末12月15日、現在の福岡県福智町(ふくちまち)にかつて存在した炭鉱、三菱方城炭鉱(ほうじょうたんこう)で爆発事故が発生しました。日本史上最悪の炭鉱事故の発生です。
  • 方城炭鉱が最終的に発表した犠牲者数は、死者671名にも上り、もともと事故が生じやすい炭鉱における被害の中でも、日本の歴史上最悪の死者を生じさせた事故として記録されています。
  • この事故について、2007年12月に福岡県福智町が発行した広報誌、広報ふくちに詳しい描写がされておりますので、本日はここから事故の状況などをお話したいと思います。

大正初期

  • 事故が発生した方城炭鉱は、日本でも有数の石炭の産地でした、福岡の筑豊炭田エリアに所在していました。
  • 筑豊炭田は古代から石炭の取れるエリアとして知られていましたが、明治以降になると急速に産業目的での炭鉱が整備され、一次は日本の石炭産出量の六割を占めていたという、大炭鉱地帯とも言える場所でした。
  • 石炭の算出ピークは昭和15年頃ですので、筑豊炭田事故が発生した大正初期というのは、まさに炭鉱時代のまっただ中と言える様な状況だったと言えます。
  • また、事故が起きた1914年・大正3年は、ちょうど第一次世界大戦が開戦した年でもあり、産業だけでなく戦争の需要としても、石炭は多く求められていたと言うことになります。
  • 方城炭鉱は、明治41年から操業開始されていますが、当時最先端技術で掘られた大深度、地下270メートルにもなる縦穴は、東洋一の深さを誇る素晴らしい科学技術の結晶としてもてはやされていたのです。
  • 実際、周辺の村々も炭鉱による好景気に沸き、まさに炭鉱都市して周辺と共に発展をすることになりました。

方城大非常

  • 事故が発生したのは方城炭鉱が操業を始めてから6年後の大正3年、12月15日、107年前の本日です。
  • みぞれが降る寒い朝となったこの日、午前9時40分頃、街全体に響き渡るとてつもない轟音が突如鳴り響きました。
  • 学校の窓ガラスは砕け、子ども達は悲鳴を上げ、そして炭鉱の縦穴からは巨大なキノコ雲が上がり、一目で大惨事が生じたと分かる大爆発が発生しました。

夏みかん

  • 炭鉱爆発が発生した際に、まず行わなければならないことは、炭鉱内部の火災を収めることです。
  • 即座に外部との扉が閉められ、火災を窒息消火させた後、巨大な扇風機を全力で回して煙を外に排出、事故発生から5時間後にようやく煙がなくなり、炭鉱の中の様子が見られるようになりました。
  • ここで最初に行われたことが、大量の夏みかんを坑道の中に放り込むことです。言い間違いではありません、当時、夏みかんの成分、酸がガスを中和すると考えられており、周辺の商店や農家から大量の夏みかんをかき集め、半分に切り、炭鉱の中にどんどん放り込まれていきました。
  • もちろんこの行為は、化学的にはまったくの無意味です。
  • つまりこの程度の科学技術で、危険な炭鉱運営を行っていたのが当時の現状だったということになります。
  • また、救援作業を行う際にも、夏みかんを口にくわえた決死隊が炭鉱の中におり、しかし充満していたガスにやられて即座に捜索は中断、そうした状況が事故直後の現場だったのです。

派遣従業員

  • その後、徐々に救助活動…という名前の、遺体の引き上げが永遠と続けられることになりますが、最終的に発表された犠牲者数は671名にものぼり、18歳以下の子どもの労働者も71名が含まれていたということです。
  • 逆に、生存者も21名の方が救助されますが、救助後まもなく一酸化炭素中毒で亡くなられたり、重度の障害を負われる方も多くいらっしゃったそうです。
  • また、この当時は、炭鉱で働く方々は炭鉱からの直接雇用ではなく、「納屋制度」と呼ばれる、いわば炭鉱と契約をする人材派遣が、それぞれ炭鉱夫を炭鉱の中へ送り出すような制度がとられていました。
  • そのため、事故が起きた当時、正確にどこに何人の坑夫がいたか、ということははっきりせず、犠牲者の数についても諸説があったり、正確ではない可能性があるということです。

事故原因と再発防止

  • 方城炭鉱事故の直接的な原因は、炭鉱夫が作業につかっていたランプによる引火だったと考えられています。といってもこれは単なる着火原因であり、複合的な要素が積み重なって事故が発生したというのが現実です。
  • 最終的には、このランプの運用に関する不備、通気口など設備の運用不備、炭鉱内の作業現場による手順の不備、こうした作業不備が積み重なって、ガスおよび石炭の粉じんによる大爆発に繋がったと考えられています。
  • その後、こうした事故を再発させないための取り組みとして、筑豊炭田の炭鉱会社は、合同で炭鉱の訓練施設を拡張・訓練も強化され、各社から派遣された訓練生が安全訓練を行える様な環境が整えられたということです。
  • 炭鉱の歴史は、犠牲の積み重ねの歴史でもあると言われています。地面の中から、密閉空間で、爆発の恐れのある危険物を掘り出す産業ですので、潜在的に危険が満ちあふれているのが石炭炭鉱です。
  • しかし日本の産業化は、こうした炭鉱から得られるエネルギーにより支えられていた事実もありますので、こうした事故の歴史については、学んでおくべき教訓の一つであると言えます。

本日も、ご安全に!

ということで、本日は「方城炭鉱・爆発事故」のお話でございました。

ちなみに事故が発生した1914年・大正3年は、1月12日に桜島が大噴火が起きた年でもあります。この時の噴火は規模が大きく、流れ出した溶岩で桜島と大隅半島が陸続きになるほどの規模でした。

まさに大正3年は、年始の桜島噴火、年末の方城炭鉱事故と、九州エリアは大きな爆発被害に見舞われた1年となったのです。

それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!

サイト管理者・執筆専門家

高荷智也(たかにともや)
  • ソナエルワークス代表
  • 高荷智也TAKANI Tomoya
  • 備え・防災アドバイザー
    BCP策定アドバイザー

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