Voicyそなえるらじお #135『東日本大震災に教訓を伝えた、明治三陸地震』
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執筆者:高荷智也

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、6月15日(火)、本日も備えて参りましょう!
岩手・宮城内陸地震
本日のテーマは「明治三陸地震」のお話です。
岩手・宮城内陸地震
- 本日6月15日は、125年前に「明治三陸地震」が発生した日です。
- 1896年(明治29年)6月15日、夜の午後19時32分頃、東北三陸沖、現在の岩手県釜石市の東方沖200km辺りの地点で、マグニチュード8.2の巨大地震が発生しました、明治三陸地震の発生です。
- マグニチュードは8.2と巨大な地震でしたが、陸地から比較的離れた場所で発生したため、地震による揺れの大きさは最大でも震度4~5相当の揺れで、地震そのものによる被害は小さなものであったと想定されます。
- しかし問題なのは、地震発生から約30分後に到達し始めた津波、3.11東日本大震災と同じような巨大津波が、北海道から東北の沿岸に到達し、
- 震源に近い場所であった岩手県の沿岸には、軒並み10mを超える津波が到達、とりわけ、岩手県大船渡市にある湾、綾里湾(りょうりわん)では、最大38.2mの高さまで津波が到達した記録が残っており、
- これは、3.11東日本大震災で、津波の遡上高40.1mという観測がなされるまで、国内最大規模の、記録に残る津波の高さでした。
- この津波の被害により、21,959名にのぼる死亡者が発生する、大惨事となっております。
生かされた教訓
- 明治三陸地震による2万名を超える犠牲者の多くは、震源に近くとりわけ大きな津波に襲われた岩手県と宮城県に集中しています。
- ところで、1896年・明治29年当時の日本の人口は、約4,200万人と現在の3分の1程度でした。これを単純に当てはめた場合、現在の感覚で言えば、ただ一度の大地震と津波による被害で、6万名を超える死亡者が発生した、というようなレベルの巨大災害だったと言える訳です。
- 明治三陸地震の津波の状況は、3.11東日本大震災と似ている点が多くありますが、地震や津波の規模、被災地の広さで言えば、3.11東日本大震災の方がかなり大きなものとなります。
- しかし犠牲者の単純な人数比較では、明治三陸地震の方がかなり大きなものとなります。これは、過去の大地震の教訓を生かし、防災対策を推進してきたひとつの成果ではないかと思われます。
- この125年の科学技術の進歩により、大地震発生直後に津波警報が出されて避難を促すようになったり、防潮堤や道路網の整備により当時よりは迅速な避難が行える様になっていたり、という辺りは大きな進歩であると言えるでしょう。
自然災害による人的被害
- なお、この明治三陸地震による被害、21,959名の犠牲者という数字。
- これは、明治以降、戦争と感染症パンデミックをのぞく自然災害の被害としては、1923年の関東大震災で生じた死者・行方不明者10万5千名に次ぐ、2番目の規模となっています。
- 3番目は3.11東日本大震災、4番目は1891年の濃尾地震、そして5番目は1995年の阪神・淡路大震災による被害となっています。
- 死亡者数だけが災害の規模を図る指標ではありませんが、それでもこの明治三陸地震という災害が、極めて大きなものだったことは把握しておくべき歴史と言えるでしょう。
- ちなみに、戦争と感染症パンデミックを加えた場合の被害としては、日中戦争から太平洋戦争までの犠牲者が300万人以上と圧倒的に多く、
- 次に1918年の新型インフルエンザパンデミック・スペインかぜによる死者が約38万人と続き、
- 3番目が関東大震災ということになります。最悪の災害は、人災であるというのは、なんとも考えなくてはならない事実です。
明治三陸地震のその後
- ところで、3.11東日本大震災から10年目を迎えた今年ですが、いまだに大規模な余震活動が続いています。
- これは、マグニチュード8.2とやはり巨大であった、明治三陸地震も同様で、本震のあとしばらくの間は大きな余震がつづきました。
- 特に規模の大きかった地震としては、
- 2ヶ月半後の1896年8月31日に、岩手県と秋田県の県境で発生したM7.2の直下地震、陸羽地震(りくうじしん)
- 8ヶ月後の1897年2月20日に、宮城県沖で発生したM7.4の大地震、
- 1年後の1897年8月5日に三陸沖で発生したM7.7の大地震、
- などが上げられます。
- 巨大地震のあとはしばらく大きな地震が続く、というのは大昔からの常識として発生し続けている現象ということになりますね。
本日も、ご安全に!
ということで、本日は「明治三陸地震」のお話でした。
ところで津波を知らせる方法として、実は昨年2020年に「津波フラッグ」という仕組みが新しく開始されていました。津波警報などが発表された際に、海岸沿いに掲げられる、赤と白の格子模様の旗が津波フラッグです。
昨年はコロナ禍により全国多くの海水浴場が閉鎖されてしまったため、この津波フラッグも全く話題になりませんでしたが、今年は海水浴場もオープンしていくことが想定されます。海岸沿いで赤白格子状の旗を見たら、全力で高台に走る、ということをぜひ覚えて置いてください。
それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!