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Voicyそなえるらじお #129『20世紀最大の巨大噴火、1991年フィリピン・ピナトゥボ山噴火』

最終更新日:

執筆者:高荷智也

Voicyそなえるらじお #129『20世紀最大の巨大噴火、1991年フィリピン・ピナトゥボ山噴火』

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、6月7日(月)、本日も備えて参りましょう!

ピナツボ火山の噴火…平成の米騒動の遠因

本日のテーマは「火山の噴火」です。

1991年ピナトゥボ火山噴火の始まり

  • 本日6月7日は、ちょうど30年前の本日、フィリピン・ルソン島のピナトゥボ火山で大規模な噴火が始まった日です。
  • フィリピンの首都マニラがあるルソン島、この島の西側、マニラの北西約91kmの位置にピナトゥボ山という標高1745mの山がありました。
  • 1991年の3月、ピナトゥボ山周辺で地震が発生するようになり、次第に大きな揺れになっていきました。
  • 翌月、1991年4月2日には、ピナトゥボ山で最初の水蒸気爆発が発生し、その後も断続的に小規模な噴火が繰り返し発生し、周囲に火山灰を降らせました。
  • ピナトゥボ山の東側、23キロ地点の場所には、アメリカ空軍の基地、クラーク空軍基地がありました。その関係で、米国の火山学者が即座に監視装置を設置し、現在の状況を観測し始めるのと同時に、過去の噴火の調査を行いました。
  • すると、ピナトゥボ山では過去にも数千年周期で大規模な噴火が生じており、クラーク空軍基地がある都市周辺も、噴火の堆積物で作られた平地の上にあることが判明しました。
  • もし、大規模な噴火が発生した場合、大きな被害が生じる可能性があることが、明らかになったのです。
  • そのため、4月7日には、火山の周囲10kmの範囲に対して、避難命令が出されました。

大規模噴火の開始

  • その後も噴火の規模は徐々に大きくなって行き、5月26日には火口の直下を震源とする地震が発生し、マグマが火山の真下まで上昇してきていることが想定されました。
  • 2日後の5月28日、それまで大量に放出され、しかもその量が増え続けていた二酸化硫黄の放出レベルが急激に低下しました。これは、噴火の終息を意味するのでは無くて、逆に何かしらの原因で地下からガスが抜けることが妨げられていることが示唆さえ、このままの状況が続くと、高まった圧力で爆発的な噴火が生じる可能性が高いと想定されました。
  • 翌月6月3日には、水蒸気爆発ではなく、最初のマグマ性の噴火が発生しました。ちなみにこの日は、奇しくも日本の雲仙普賢岳でも大規模な噴火が発生し、火砕流で43名の方が命を落とされた日でもあります。
  • 日本では雲仙普賢岳が、フィリピンではピナトゥボ山が、同時に噴火を起こしていたのが、この1991年の春頃です。
  • そしてちょうど30年前の本日、1991年6月7日に、最初の大規模な噴火が発生し、高さ7,000m以上の噴煙が立ち上りました。
  • その後も噴火は激しさを増し、警報レベルも高まり、最初は10km圏内だった避難命令が、20km範囲に、そして40km範囲にと拡大され、近隣住民の大規模な避難が行われました。

米軍撤退

  • 6月10日には、米軍・クラーク空軍基地にも避難命令が出されて、近隣の海軍基地へほとんどの人員が移動しました。世界最強の米軍であっても、火山の脅威には太刀打ちできなかったわけです。
  • その後も噴火は激しさを増し、6月12日には火山灰が高度24kmの成層圏まで噴き上がりました。翌日6月13日と6月14日にも同じ規模の大爆発が発生し、大量の火山灰や軽石が周囲に降りつもり、さらに大規模な火砕流と火砕サージが周囲に襲いかかり、山の斜面を下って周囲数キロが焼き尽くされました。
  • そしてこの噴火のクライマックス、最大の噴火は、6月15日に発生しました。
  • 悪いコトに、ちょうど同じタイミングで台風5号が接近している状況でしたが、お昼過ぎの13時42分に最後の大規模噴火が始まりました。
  • この噴火では、火山灰が高度40kmという高さまで吹き上げられ、ルソン島の広い範囲に火山灰を降らせ、さらに南シナ海を挟んだ対岸、1,000km以上の距離があるベトナムやマレーシアでも火山灰が観測されました。
  • 噴火により発生した大規模な火砕流は山頂から16kmも下り、さらに台風による豪雨が降り積もった火山灰と混ざり合って、大規模な火山泥流、「ラハール」と呼ばれる現象を引き起こし、周囲を高熱と土砂と土石流で埋め尽くしました。
  • また爆発による空振と呼ばれる衝撃波も広い範囲で観測されたり、火山性の強い地震が繰り返し発生し、90キロ離れた首都マニラでもこの揺れを観測しました。
  • こうした現象が約9時間ほど継続し、ピナトゥボ山の大噴火は終息に向かいました。
  • 火山の噴火の大きさは、VEI・火山爆発指数で表されますが、1991年のピナトゥボ山の噴火はVEI6、頻度で言えば地球全体で数百年に一度レベルの超巨大噴火であり、20世紀以降最大の噴火となっています。

復興への長い道のり

  • この噴火による死亡者は900名前後と想定されていますが、その多くは火山灰の重さで倒壊した建物の下敷きになった方々ということです。
  • 事前の避難が数万人規模で適切に行われたため、これだけ規模の大きな噴火にも関わらず、直接的な死亡者数は比較的小さな値となっています。
  • しかし、噴火の収束後も被害は続き、噴出した余りにも大量の火山灰が、毎年夏の雨期になると土石流となって流れだし、周辺地域への被害を出し続けています。

本日も、ご安全に!

ということで、本日は「1991年のフィリピン・ピナツボ山噴火」のお話でした。

大規模な噴火の前には米軍ですらなにもできない、しかし適切な予知による避難誘導が行えれば、直接的な死亡者は減らすことができるという教訓も得ています。

なお、このピナトゥボ山噴火による影響は、火山の周辺やフィリピンだけでなく、日本を含む地球全体に到っています。「火山の冬」と呼ばれる影響ですが、明日はこのお話をしたいと思います。

それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!

サイト管理者・執筆専門家

高荷智也(たかにともや)
  • ソナエルワークス代表
  • 高荷智也TAKANI Tomoya
  • 備え・防災アドバイザー
    BCP策定アドバイザー

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