Voicyそなえるらじお #156『日本を東西に分割する「溝」フォッサマグナとヒスイの露出』
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執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、7月14日(水)、本日も備えて参りましょう!
糸魚川ジオパーク Vol.2
本日は「シリーズ・糸魚川ジオパーク」の2日目…
昨日の放送では、5億年前に大陸プレートと海溝プレートの間、地下深くで作られた「ヒスイ」のお話をしました。本日はこの続きで、では、日本列島の地下で作られた「ヒスイ」が、なぜ糸魚川周辺で産出するのか、というお話をしたいと思います。
なぜ糸魚川でヒスイが取れるのか
- 日本の国の石、国石でもある「ヒスイ」は、おおよそ5億年前、大陸プレートと海溝プレートの境界、地下深くで生成されたと考えられています。
- このヒスイ、地下の岩盤や周囲の影響を受けて、少しずつ地上に向かって移動し、おおよそ2.5億年前~2億年前頃には、比較的地上に近い場所まで持ち上がってきたと推定されています。
- しかし、地上近くまでヒスイが持ち上がってきたとはいえ、やはり地下の話。そのままでは、ヒスイを人類がゲットすることはできません。ここでもうひとつのポイントになる、「糸魚川ジオパーク」の特徴が、「フォッサマグナ」と「糸魚川・静岡構造線」というキーワードです。
フォッサマグナ…2000万年前
- 日本列島が生まれ始めたのは、今からおおよそ2000万年前です。このころの日本列島は、ユーラシア大陸の一部で、まだ島ではありませんでした。
- このころ、地下のマントル活動や、火山活動によって、ユーラシア大陸の東の端が、文字通り裂け始めました。
- 大陸の端が引き裂かれて、巨大な割れ目となり、将来日本海になる場所は、当初巨大な湖としてうまれました。なぜそんなことが分かるのかと言えば、この巨大な湖であった場所と推定される場所から、淡水魚などの化石が見つかっているからです。
- ちなみに同じ頃、ヨーロッパではあるプル山脈が、ユーラシア大陸中央ではヒマラヤ山脈などが生まれています。
1500万年前
- さらに今から1500万年ほど前になると、将来日本海になる場所に生まれた巨大な湖はさらに広がって、いよいよ太平洋とつながり、海となりました。日本海の誕生です。
- また、この時日本列島になる陸地は、西側と東側に移動して、中央部が割れました。現在の地名で言うと、北海道から東北辺りは、2000万年前に割れた陸地の東側、そして近畿・東北・四国・九州辺りは、同じく2000万年前に割れた陸地の西側で、かなり古い地層です。
- 一方、現在の関東・静岡・甲信越辺りの日本の中央部は、日本海が生まれた頃、海の底になっていました。
- この、日本列島が東西に割れたころ、海底だったくぼみ一体を、フォッサマグナと呼びます。
- ちなみにフォッサマグナとは、ラテン語で「大きな溝」という意味の言葉です。日本の東西を分割する巨大な溝、これがフォッサマグナです。
- なぜラテン語なのかと言えば、フォッサマグナの地形を最初に観測して、論文にまとめ、そしてフォッサマグナと命名したのが、明治時代の初期に明治政府の依頼で活動した、ドイツの地質学者、ハインリッヒ・エドムント・ナウマン博士だからです。
- ちなみに、日本海が誕生し、日本の東西がフォッサマグナ海峡で隔たれていた時代、人とオランウータンが分岐して、この後いよいよ類人猿が登場する時代に突入します。まだ人間などは存在しないころ、日本海が誕生したのですね。
1200万年前
- フォッサマグナ海峡となった海は、次第に海底の土砂や、海底火山の噴火、またプレート活動などの影響で、徐々に埋め立てられて行きました。
- これが今から1200万年前辺りと考えられています。
300万年前
- その後、日本列島全体が徐々に隆起、海底から持ち上がり始め、陸地の面積が広がり、またフォッサマグナ海峡も全て埋め立てられて、陸地になりました。
- 時代で言えば、いまから300万年前辺りの状況です。ちなみにこの頃、琵琶湖が誕生し、またアウストラロピテクスが最初の人類として登場しました。
- この頃から、日本列島全体で、大きな地震や、火山の噴火などが発生し、現在の地形を作って行くことになります。
- ということで、1500万年前辺りには海底だったフォッサマグナは、300万年前辺りには陸地となりました。現在、ぱっと見ではフォッサマグナの存在を知ることはできませんが、地層を調査すると、明らかに日本の東西を分割する溝があるということになるのです。
- そして、この溝の西の端が、糸魚川・静岡構造線と呼ばれる長い断層になっています。
糸魚川・静岡構造線
- 糸魚川市の中心部を流れる河川に、姫川があります。長野県から新潟県糸魚川市までまっすぐ北上する川ですが、この川が、おおむね、糸魚川・静岡構造線にそって流れています。
- つまり、姫川の西側は、2000万年前に、ユーラシア大陸から裂けて生まれた、古い日本列島の地層。そして姫川の東側は、フォッサマグナ海峡として海の底だった場所ということになります。
- そしてポイントになるのが、ヒスイです。
- ヒスイは、2億年ほど前から、今の日本列島の地下に眠っていました。
- そして2千万年前に日本列島が大陸から裂け、フォッサマグナとなる部分が、大きく溝となり、割れました。
- つまり、地下に眠っていたヒスイが、フォッサマグナの境界部分に添って、地上に露出してきた可能性があるということです。
- そして、フォッサマグナの溝が、徐々に埋め立てられ、隆起し、陸地となるに従って、地上に露出したヒスイも、その辺にポイッと放り出されたと想定されます。
- 糸魚川のヒスイの主要な産地は、姫川の上流に位置します。姫川はフォッサマグナの西の端、糸魚川・静岡構造線に添って流れています。フォッサマグナの境界であり、まさに地上が裂けた場所であるから、地下に眠っていたヒスイが地上に出て来た、そして人類がそれに気づくことができた、と言うことになります。
そして縄文時代へ
- こうした完成した現在の日本列島ですが、当然なが初期は動物しか住んでいませんでした。今から3万8000年ほど前に、日本列島に最初の人類が到達し、旧石器時代がはじまります。
- 当初は原始的な生活をしていた人類ですが、徐々に文化が発展し、石器などを活用して日々の生活を行っていたと推定されます。
- そして、今から6500年前、縄文時代に、糸魚川周辺にも、人類が定住をはじめました。
- 当時糸魚川に定住した人類は、日々の生活を行う道具として、石器を使っていました。
- 色々な石を割って、いわゆる磨製石器を作り、ナイフやハンマーとして活用していた訳です。
糸魚川太郎氏の日常
- ここからは想像です。ある日、縄文人の1人である、糸魚川太郎氏21歳は、姫側の近くで拾った石を割って、石器を作ろうとしていました。
- この石、拾った時に他の石よりも重たい、ずっしりとした感触があり、なんだかイイ感じの石器が作れるような気がしていたのです。
- そして竪穴式住居である自宅の脇で、拾った石を割ろうとしましたが、どうも割れません。それどころか、たたきつけた他の石が砕けるしまつ、姫川で拾ったこの石、重たいだけでなく、とんでもなく頑丈な石でした。
- そこで糸魚川太郎氏(21歳)は、この重たい石で他の石をたたき割ることにします。するとどうでしょう、面白いように他の石が割れていきます。
- こうして糸魚川太郎氏は、集落の石割名人として活動することになりましたが、この重たくて頑丈な石は、徐々に口コミで集落の人々に伝わり、次第にみんなが便利な道具として活用し始めます。
- この重たくて頑丈な石こそ、ヒスイの原石なのです。
- このヒスイを使って、糸魚川縄文文化が、無双を始めます。黄金時代、もとい、ヒスイ時代の始まりです。
本日も、ご安全に!
ということで、本日は「シリーズ糸魚川ジオパーク」で、地下深くに存在していたヒスイが、フォッサマグナの誕生と共に、糸魚川周辺にばらまかれ、それを縄文人が偶然拾って活用を始めるというお話でした。
次回は、こんどこそ、ヒスイと縄文文化と防災のお話をしたいと思います。
それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!