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Voicyそなえるらじお #157『自然災害リスクの少ない集落で使われた、縄文時代のマザーマシン・ヒスイ』

最終更新日:

執筆者:高荷智也

Voicyそなえるらじお #157『自然災害リスクの少ない集落で使われた、縄文時代のマザーマシン・ヒスイ』

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、7月15日(木)、本日も備えて参りましょう!

糸魚川ジオパーク Vol.3

本日は「シリーズ・糸魚川ジオパーク」の3日目…最終回です。

昨日の放送では、5億年前に大陸プレートと海溝プレートの間、地下深くで作られた「ヒスイ」が、日本列島の誕生に伴う、フォッサマグナの影響で糸魚川周辺に露出し、それを縄文人が活用し始めた、というお話をいたしました。

本日は「シリーズ糸魚川ジオパーク・縄文ヒスイ編」の最終回ということで、糸魚川で発展した縄文文化と、そこから今私達が学ぶべき防災のあり方について、お話をしたいと思います。

長者ヶ原遺跡

  • さて、昨日の放送の最後に、私が勝手に想像した縄文人、糸魚川太郎氏21歳が登場しておりましたが、糸魚川には縄文時代の遺跡を、これを見学することができるミュージアムが整備されています。
  • 糸魚川市の中心駅、北陸新幹線も停車するJR糸魚川駅から3キロほど南に離れた高台に、長者ヶ原遺跡(ちょうじゃがはらいせき)と、考古館・ミュージアムがあります。
  • 長者ヶ原は、縄文時代の中期、今からおおよそ5,000年~3,500年ほど前に栄えたと推定されている縄文遺跡で、標高90メートルほどの高台にあり、周囲には湧き水があり、また集落の西側には姫川が流れています。
  • 姫川は昨日ご紹介した、フォッサマグナの西の端、糸魚川・静岡構造線にそって流れる川で、5億年前に大深度の地下で作られたヒスイが、地上に露出している川です。
  • つまり、長者ヶ原遺跡に暮らしていた縄文人達は、集落のすぐとなりで、いわば縄文時代のチートアイテムとでも言うべき、重くて頑丈な岩石、ヒスイを拾いたい放題という素晴らしい環境にあったことになります。

長者ヶ原遺跡とヒスイ

  • 長者ヶ原遺跡からは、様々な石器が発掘されています。特に、磨製石斧と呼ばれる石斧が多く見つかっています。
  • 長者ヶ原の縄文人達は、姫川で拾ったスイを道具、敲石(たたきいし)として使いました。石斧の材料は、やはり集落から歩いて行ける距離にある糸魚川の海岸で拾った平たい石です。
  • ヒスイ製の敲石(たたきいし)は頑丈ですので、これを使うことで、海岸で拾った石の形を整え、砥石で磨いて形を整え、とてもイイ感じの石器、いわば糸魚川ブランドの磨製石斧を作成していたと考えられています。
  • さらに、これと同じ要領でヒスイそのものも加工し、ヒスイ製の大珠、イメージとしては勾玉のご先祖さまのようなものも作成していました。
  • そして、この糸魚川で作られたイイ感じの磨製石斧や、ヒスイ製のアクセサリは、日本各地の縄文集落へ送られています。糸魚川ブランドの石器を使って、大規模な交流を行っていたということなのです。
  • 事実、日本各地の縄文遺跡から、糸魚川で作成されたと考えられる磨製石斧や、ヒスイのアクセサリが多数見つかっています。特にヒスイを入手し、かつ加工することができたのは、糸魚川地方だけであったと考えられています。
  • これが北は北海道から、南は九州種子島まで多数出土していて、徒歩と丸木舟で全国の交易網ができていたようです。
  • また、糸魚川の長者ヶ原遺跡からは、糸魚川では採れない黒曜石の道具や、他の地域の特徴を多く含む縄文土器などが見つかっていますが、これはつまり、糸魚川ブランドの石器やヒスイ製品との物々交換で、交易をしていたという証しになります。

ヒスイという縄文時代のマザーマシン

  • このように、糸魚川の長者ヶ原集落では、ヒスイの道具を使った高品質な磨製石斧を作成し、日本全国の縄文集落へ供給していたと考えられますが、これはまさに、日本の縄文文化の一端を支える生産工場が、糸魚川にあったと言えるのではないでしょうか。
  • 機械を作るための機械を、マザーマシンと言いますが、縄文時代の機械といえば石器、高品質な磨製石器を生み出すことができるヒスイ製の敲石(たたきいし)は、まさに古代のマザーマシンと言えます。製造業の価値が高い日本という国の、ルーツを見たような気がしますね。
  • またもうひとつ特筆すべきなのが、この長者ヶ原遺跡、今から5,000年~3,500年ほど前に栄えたと推定されていますが、縄文時代に、同じ場所で、1,500年にもわたり、安定した産業が営まれていたというのが、またものすごいことだと思います。
  • 縄文時代の中期から後期にかけて、日本全国に縄文文化が栄えた一端が、このメイドイン糸魚川の道具やアクセサリの、安定供給にあったと私は思います。

長者ヶ原遺跡をハザードマップで見ると

  • さらに、糸魚川市の長者ヶ原遺跡を、現代のハザードマップで確認しますと、すごく良い場所にあるのです。
  • まず西を流れる姫川流域は洪水浸水想定区域になっていますが、長者ヶ原遺跡は高台にあるため、洪水の影響は受けません。むしろ定期的に洪水が生じてくれた方が、上流から新しいヒスイの原石が流れてきてありがたいくらいだった、と想像されます。
  • また糸魚川の海岸付近は津波の浸水想定区域ですが、やはり長者ヶ原遺跡は高台にあるため、津波の影響は受けません。しかし海岸まで3キロほどのきょりですから、石を拾ったり魚を捕ったりするには無理のない距離と、理想的な立地です。
  • さらに、長者ヶ原遺跡周辺は土石流や地すべりの危険がある、土砂災害警戒区域に指定されていますが、この集落そのものは、谷筋や崖地帯からはずれているため、土砂災害の危険がありません。大地震などが発生しても土砂災害に襲われることなく、住宅がつぶれても所詮木の柱とワラ作りですので復旧も容易と、自然災害の脅威をことごとく外している集落だったのです。
  • 重要な産業拠点が、自然災害リスクの低い場所に存在し、1,500年にもわたる長期間、石器や土器だけで安定した生活を続けた、素晴らしいことです。

日本人はどこに住むのか

  • さて、時代は現代に戻り昨今、毎年の様に「想定外」と呼ばれる自然災害に見舞われています。
  • しかし、大地震の揺れは、頑丈な建物を建て、室内の対策をきちんと行えば、ほとんど被害をなくすことができます。
  • 津波・洪水・高潮・土砂災害といった水害全般は、沈んだり崩れたりしない場所を選んで住めば、ほとんど無視することができるようになります。
  • 糸魚川の長者ヶ原集落に暮らしていた縄文人達は、安全な場所に定住したからこそ、安定的な生活と、日本全国への物資提供を行い続けることができました。
  • これから人口が減り、住居や土地がどんどん余っていく日本において、今の私たちが、また私たちの子どもや孫といった子孫が、どこに暮らすべきか、安全な土地で生活するにはどうすべきなのか、考えて行く必要があります。

本日も、ご安全に!

ということで、本日は「シリーズ糸魚川ジオパーク・縄文ヒスイ編」の最終回ということで、糸魚川市の長者ヶ原遺跡のお話でした。

糸魚川ジオパークには、ヒスイ・フォッサマグナ・縄文遺跡以外にも、様々なジオスポットが存在し、地質や文化の特徴に触れることができます。

ちなみに糸魚川は、ベニズワイガニの産地としても有名です。1月・2月以外の季節は通年でカニが楽しめる層ですので、グルメ欲と文化欲の両方を満たせる旅行に…コロナが収まったら…ぜひいかがでしょうか。

それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!

サイト管理者・執筆専門家

高荷智也(たかにともや)
  • ソナエルワークス代表
  • 高荷智也TAKANI Tomoya
  • 備え・防災アドバイザー
    BCP策定アドバイザー

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