Voicyそなえるらじお #307 江戸城天守を永遠に焼失させた、江戸時代最悪の明暦の大火
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執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災!そなえるらじお」、3月2日(水)、本日も備えて参りましょう!
火事と喧嘩は江戸の華
本日のテーマは「大規模な都市火災」のお話です。
- 本日3月2日は、いまから365年前に江戸の街で「明暦の大火」が発生した日です。
- 1657年3月2日、旧暦では明暦3年の1月18日になりますが、この日から3月4日までの3日間にかけて、当時の江戸で大規模な火災が発生し、江戸城の天守閣を含む、江戸市街地の大半が焼失する被害が生じました。
- もともと江戸の街は、火事と喧嘩は江戸の華と呼ばれる程に大規模な火災が繰り返し発生する都市で、江戸時代の267年間に、約50回の大規模火災が発生しています。5年に1回は大火と呼ばれるレベルの火災が発生し、そのたびに街を作り変えてきたのが江戸の歴史でもあります。
- その中でも、本日ご紹介する「明暦の大火」は、焼失面積や死者数共に最大規模のものでありとりわけ被害の大きかった火災として記録されています。
明暦の大火
- 明暦の大火は、出火元が単体ではなく、日を置いて3箇所から順番に出火し、複数の大火が重なり合うことで、被害が大きくなったことが特徴とされています。
- 当時の記録では、明暦2年の年末から大火の生じた明暦3年の正月にかけて、80日以上も雨が降らず、大変乾燥した状態が続いており、小規模な火災が多発していました。
- 現代で言えば、乾燥警報が発表され、ニュースなどでも火災への備えが繰り返し呼びかけられるような状況と言えるでしょうか。
- そして旧暦の1月17日、乾燥した強風が吹き始め、翌日1月18日に発生した一つ目の火災が大規模に延焼しはじめました。その後も強風が続き、さらに別の場所から出火が生じ、大規模な火災に発展、最大で10万名の死者が生じたと想定されています。
- 明暦の大火では、江戸城にも大きな被害が生じたことが特徴としてよく語られます。当時の江戸城には、日本のお城の中でも最大規模の天守閣がそびえていました。
- 現在の大阪城には、再建された巨大な天守がそびえていますが、あれよりも大きな天守が当時の江戸城にあったそうです。が、これが明暦の大火により全焼しています。現在に例えるとなんでしょうか、国会議事堂が全焼するようなインパクトだったのかなと想像できますが、とにかく最重要拠点すら守ることのできない、極めて大きな規模の火災だったということになります。
火災からの復興
- 大規模な都市火災は、江戸だけで生じていたわけでなく、全国あちこちで大火が生じていました。そして大規模な大火で都市が焼け野原になると、都市計画などが引き直され、火災に強い町作りが行われる、こうしたことが永遠と行われ続けているのが日本です。
- 明暦の大火の後も、江戸では道路を広げたり、空き地を増やしたり、橋を増やしたり、自主防災組織を作ったりと、色々な対策が行われました。
- しかし、その後200年間、江戸が終わるまでの間だけでも数十回の火災が発生するなど、抜本的な解決には到らず、その後も大正関東大震災や、太平洋戦争における東京大空襲で、同じような大規模火災が繰り返されるなど、繰り返し大火が生じ続けています。
- また現在は、水道インフラや消防技術の進歩により、大規模な大火は東京大空襲以来発生していませんが、首都直下地震で想定されている死亡者のうち、最大の原因は火災によるものだろうと考えられているなど、
- インフラや消防がマヒするような大震災などが生じた場合には、再び過去の大火と同じような被害が生じることが想定されています。
- 大都市における火災は過去のものではなく、大地震などが発生した際にはいつ生じてもおかしくない、備えるべき対象であると言えます。
本日も、ご安全に!
ということで、本日は「大規模な都市火災」のお話でございました。
3月に入り、春一番をはじめとする、強風が吹く季節になっています。乾燥と強風が重なるところに大地震が発生すると、最悪の地震火災に発展します。身の回りの火の始末などは、厳重に行いましょう。
それでは皆さま、本日も引き続き、どうぞご安全に!