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Voicyそなえるらじお #437 足尾銅山鉱毒事件と台風による3連続水害の怖い関係

最終更新日:

執筆者:高荷智也

Voicyそなえるらじお #437 足尾銅山鉱毒事件と台風による3連続水害の怖い関係

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、9月16日(金)、本日も備えて参りましょう!

意外なところで結びつく複数の人災・災害

本日のテーマは「群馬県桐生市」のお話です。

  • 9月15日(木)に、群馬県桐生市で講演会をさせていただきました。
  • 桐生市は奈良時代の頃から絹織物の産地として栄えた、織物の盛んな地域で、現在も繊維産業が盛んな地域です。
  • 食べ物でいうと、桐生うどんが名物です。かつて繊維産業の最盛期であった明治から昭和の初期ごろ、労働者が手早く食事を済ませるためにうどんが重宝されたという話もありますが、現在でも地場の名産として様々なうどんが提供されています。

3つの台風

  • 桐生市を襲った災害としては、まず戦後の台風被害が挙げられます。
  • 1947年のカスリーン台風、1948年のアイオン台風、1949年のキティ台風、いずれも関東を中心に東日本へ甚大な被害をもたらした台風ですが、桐生市の中心部を流れる渡良瀬川でも大規模な洪水が発生し、大きな被害を生じさせています。
  • 渡良瀬川は、関東を貫く日本最大の広さ・流域面積を持つ利根川の支流で、その利根川で最も広い流域面積を持つ支流です。つまり、大きな川なのですが、この渡良瀬川流域が3つの台風により3年連続で甚大な被害をこうむっています。
  • ちなみにカスリーン台風が上陸したのが1947年の9月15日、そしてアイオン台風が上陸したのが74年前の今日、1948年の9月16日なのです。
  • その後渡良瀬川には大規模な堤防が築かれ、それ以降大規模な洪水被害は発生していませんが、ハザードマップを見ると流域は洪水による浸水想定区域になっています。
  • 多少の大雨では洪水が起きなくなったものの、ひとたび河川が決壊すれば甚大な被害が生じる平野が広がっている、という土地の状況は現代も変わらないと言うことなのです。

足尾銅山

  • 渡良瀬川といえば、防災的にある重要な事件に関連した話がもうひとつあります。それが日本初の公害事件、足尾銅山鉱毒事件です。
  • 足尾銅山は栃木県の日光にかつてあった銅の鉱山ですが、特に江戸時代には多くの銅を産出し、同時の幕府の財政を支えていました。
  • その後江戸末期にかけて銅の産出力が減少し、閉山状態となりますが、明治時代以降に新たな銅の鉱脈が発見され、大正時代には日本の銅産出量の半分弱を支える重要拠点となりました。
  • が、ここで問題が生じます。鉱山の開発と銅の精錬事業による樹木の伐採により周辺の山は荒廃し、この足尾銅山付近を水源とする河川には、大雨のたびに大量の土砂が流れ込み、河川の水位を上げ、河川の底が周囲の土地よりも高くなる天井川を形成し、大規模な洪水を頻発させることになったのです。
  • この河川が、渡良瀬川なのです。
  • 銅山開発で森林が伐採される、森林がなくなると山がはげ山となり土砂が川に流れ込む、流れ込んだ土砂は下流で河川を埋め立てて、川の水位を上げる、すると洪水が頻発する、という流れが続いてしまいました。
  • さらに、銅の精錬による廃棄物も土砂と共に渡良瀬川に流れ込み、これが広範囲に環境汚染、つまり公害をもたらし、いわゆる足尾銅山鉱毒事件を引き起こしました。
  • 現代では河川の汚染もなくなり、鮎を始めとする多くの魚が生息する清流となっています。

本日も、ご安全に!

ということで、本日は「群馬県桐生市」でございました。

それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!

サイト管理者・執筆専門家

高荷智也(たかにともや)
  • ソナエルワークス代表
  • 高荷智也TAKANI Tomoya
  • 備え・防災アドバイザー
    BCP策定アドバイザー

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