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Voicyそなえるらじお #706 治水や土地開発は1000年単位で…岐阜県・輪之内町と輪中①

最終更新日:

執筆者:高荷智也

Voicyそなえるらじお #706 治水や土地開発は1000年単位で…岐阜県・輪之内町と輪中①

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、10月23日(月)、本日も備えて参りましょう!

輪中に学ぶ水害対策

本日のテーマは「輪中に学ぶ水害対策」のお話です。

輪之内町と水害対策について

YouTube撮影用に、事前にメモをしていた内容です。このメモを使って、上記動画の撮影をしてきました。

①OP(堤防)
岐阜県輪之内町(わのうちちょう)に来ています
水害対策を学びましょう、まずはこの辺りの歴史から

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②輪之内町・木曽三川(きそさんせん)について(その辺の路上で)
輪之内町のある濃尾平野は、古くから木曽川、長良川、揖斐川、3つの大きな河川が流れる地域でしたが、昔はこれらの川が分流・合流、入り乱れながら流れ、毎年の様に水害の発生する土地でした。

輪之内町は、西の揖斐川、東の長良川に挟まれた地域でしたが、昔は自然にできた自然堤防の上にかろうじて人が生活できるような地域だったそうです。現在の輪之内町周辺では、平安時代の終盤に、大規模な荘園が作られましたが、まだ大規模な輪中などは作られず、川の上流側だけに堤防を作るような時代でした。

その後、戦国時代が終わり江戸時代となり、世の中が平和になると、この地域でも新田開発が活発化し、集落をぐるりと一周する「切れ目のない堤防」が築かれました。初期に作られた輪中のひとつが、現在の輪之内町の多くを占める「福束輪中(ふくづかわじゅう)」でした。

その後も木曽三川、揖斐川・長良川・木曽川周辺には数多くの輪中が作られ、江戸中期には100もの輪中が築かれたそうですが、余りにも増えすぎた輪中は河川の流れを複雑にし、水害から土地を守るための輪中が、新しい水害を招くという事態に陥ったそうです。

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③列状集落
木曽三川周辺における水害被害が減ったのは、比較的最近のことです。
1)ひとつは、江戸時代の中期・宝暦時代、1754年から行われた「宝暦治水」と呼ばれる大規模な工事です。木曽三川の分流が初めて行われた工事でしたが、まだ完全な物では無く、度々水害が続いたということです。

2)続いて行われたのが、明治20年から30年間にわたって行われた大工事、木曽三川分流工事でした。この工事は、オランダ人技師の、ヨハネス・イ・デレーケが指揮を取って行われました。現在は偉人としてたたえられています。明治時代の分流工事で、揖斐川・長良川・木曽川の下流の流れが、現在のものになりました。

いま、ここに見えている、堤防に沿って列状に並んでいる集落は、明治時代の分流工事で新しく堤防が築かれた際の移転で成立した集落です。大規模な工事で、多くの方が家の場所を移すなど、多くの方の協力と犠牲のおかげで、現在の河川があるということです。

3)さらに、平成20年(2008年)、揖斐川上流に日本最大の徳山ダム(総貯水容量6億6,000万 m3は日本一を誇る)が完成したことにより、輪之内付近においては揖斐川の水位が警戒水位に達すること自体無くなる状況となってきています。平安時代から始められた治水は、平成の後半になってようやく完成の域に達したということですね。1000年かけての土地開発の歴史があるということです。

次回へ続く…

本日も、ご安全に!

ということで、本日は「輪中に学ぶ水害対策」のお話でございました。

それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!

サイト管理者・執筆専門家

高荷智也(たかにともや)
  • ソナエルワークス代表
  • 高荷智也TAKANI Tomoya
  • 備え・防災アドバイザー
    BCP策定アドバイザー

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