Voicyそなえるらじお #557 元は関東大震災の追悼行事だった「防災の日」と「○年目」への想い
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執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災!そなえるらじお」、3月16日(木)、本日も備えて参りましょう!
時が解決することとしないことがある
本日のテーマは「追悼行事と防災の記念日」に関するお話です。
- 先日、2023年2月6日にトルコで発生した大地震から1ヵ月以上が経過しました。この地震に対する国内の報道なども小さくなっていますが、現地では大きな被害に発展しています。
- 死者はトルコ・シリア両国あわせて5万人以上、行方不明者は現時点で不明、テントによる被災生活を余儀なくされている方は地震発生から1ヵ月が経過しても100万人以上おり、経済的な被害総額も10兆円を超えているなど、歴史的な大震災の様相を見せています。
- 地震発生から1ヵ月が経過し、現地においては生活の安定を取り戻す対応が必要になるのとあわせて、今後は被災地の復興という長い期間に移行します。
- とりわけ、家族や自宅を失った方にとっては、「災害の後」というこれまでとは異なる人生が始まることになります。
周年行事を行う目的
- ところで、大規模な災害が発生した後、よく災害発生から「○年目」という言葉で毎年区切りが伝えられます。例えば本年2023年の場合も色々な「○年目」が存在します。
- 例えば、2018年の西日本豪雨、大阪北部地震、北海道胆振東部地震からは5年目、2011年の東日本大震災から干支ひとまわりとなる12年目、1923年の関東大震災から100年目、などがよく見られる「○年目」でしょうか。
- こうした○年目のタイミングでは、各種の追悼行事が行われます。この行事の目的は様々ですが、ひとつは遺族のために実施する死者の慰霊です。
- 死者の大小で災害の被害が決まるわけではありませんが、多くの犠牲者が出た災害では、多くの方が同時に家族や仲間を失っており、こうした方々の声なき総意により鎮魂のための追悼行事が行われることは自然なことと言えます。
- むろん、どのような式典を行おうとも、死者と再び会えることはありませんが、それでも残された家族や仲間に対する慰めのひとつとなるのであれば、その行事には意味があることだと思います。
- しかし、当然ながら災害を生き延びた方々も、いつかは寿命を迎えることになり、「遺族」の減少とともに、こうした追悼行事も次第に規模を小さくしたり、終了したりすることもあります。
- そしてこの、遺族の高齢化や記憶の風化という課題を乗り越えた災害がひとつありまりまして、それが関東大震災なのです。
追悼から始まり防災啓発へ変わった行事
- 本年2023年9月1日で100年目を迎える「関東大震災」の場合、当初は発生日である毎年9月1日に追悼行事が行われていました。当然ながら期間が経過するに従い、遺族や関係者は高齢化します。
- そんな中、震災から37年が経過した1960年に、9月1日を「防災の日」と定めることが決定され、それ以降関東大震災の追悼行事は、日本全体を対象とする「防災を見直す日」に切り替わったという経緯があります。
- 死者10万人を超える被害を出した、日本の歴史上で最大規模の災害である関東大震災。発生から37年という期間は、残された遺族を慰め新しい人生を送ってもらえる年月として機能したのではないかと想像されます。こうした追悼行事が自然消滅せず、防災の日として新たな役目を与えられたことは、意義のあることではないでしょうか。
- なお、防災の日が9月1日である理由は、1923年の関東大震災の発生がこの日であることを受けてですが、防災の日が作られる直接的な契機となったのは、1959年に発生した伊勢湾台風による被害でした。死者約6千名という空前の被害をもたらしたこの台風を受けて、防災の日が翌年1960年に生まれたのです。
- ちなみに1959年の伊勢湾台風は、防災の日を生み出すきっかけになったのとあわせて、日本の防災政策の根幹となる災害対策基本法が制定されるきっかけにもなっています。大規模な災害を受け流さず、次は被害を減らすという意識の元で、様々な法律や記念日が整備されてきたことは、災害大国日本が誇る成果のひとつと言えるのではないでしょうか。
- 1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、こうした近年において特に甚大な被害をもたらした災害に関しても、期間の経過とともに追悼行事から、新しい役目を持ち、後世に防災対策の記憶と教訓を残すための存在になっていけるとよいなと、感じます。
本日も、ご安全に!
ということで本日は「追悼行事と防災の記念日」に関するお話でした。
それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!