Voicyそなえるらじお #583 石垣島の住民の半数が命を落とした「明和の大津波」
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執筆者:高荷智也

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、4月24日(月)、本日も備えて参りましょう!
命も生活も全て奪われる巨大津波
本日のテーマは「明和の大津波」に関するお話です。
- 本日4月24日は、石垣島や西表島(いりおもてじま)の八重山諸島で大地震が発生し、甚大な津波被害が生じた日です。
- 今から252年前の本日、1771年4月24日、旧暦では明和8年3月10日の朝8時頃、石垣島の南約40キロの海域で、通常評価のマグニチュード7.4、津波評価のマグニチュード8.5と推定される大地震が発生、巨大な津波が発生しました。
- 明和の大津波・八重山津波と呼ばれる災害の発生です。
明和の大津波
- この地震は、いわゆる津波地震と呼ばれるタイプの地震で、地震の揺れによる被害はほとんど発生せず、被害のほぼ全てが津波によるものだったという特徴があります。
- 八重山諸島には、沖縄県で2番目に大きな島である西表島と、3番目に大きな島である石垣島を中心に、多数の島が存在します。この地震は、石垣島の南南東・40キロ地点で発生した、海溝型の地震と想定されています。
- この地震の最大の特徴は、津波によるあまりにも甚大な被害の大きさです。特に大きな被害を受けたのは震源から最も近い場所にあり、かつ平坦な土地が広がっており人口も多かった石垣島です。
- 石垣島の面積の40%が津波により浸水したと想定されていますが、当時の石垣島の人口17,349人のうち、48%に登る8,439名が命を落としました。
- 特に、震源の方に面する島の南側では、30メートルを超える高さまで津波が遡上し、逃げ込めるコンクリート製のビルなどはひとつも存在しない時代です、最寄りに高台のない集落はほぼ壊滅的な被害を受け、当時石垣島の中で最も人口の多かった「白保村」では、住民1,574名中1,546名が命を落とす被害を受けました。
- 1500人中助かったのはわずか28人、98%の住民が命を落とされたという被害が生じていますが、同じく震源に近い側にあった集落では、軒並み9割近い方が命を落とす被害が生じています。逃げ場がない地域へ巨大な津波が襲いかかってきた場合、助かる方法はほとんど存在しないのだということが分かります。
その後も苦難が
- 明和の大津波では、石垣島以外でも大きな被害が生じています。当時の八重山諸島には、約2万9千人の人が暮らしていましたが、このうち9千3百名の方が死亡し、人口の32%が瞬間的に失われました。
- なお、この津波は八重山諸島の西にある宮古島を中心とした宮古諸島へも大きな被害をもたらし、約2千5百名の死者が生じています。
- ところで、この津波による被害、252年前という時期にもかかわらず、ものすごく詳細な人口と被害の記録が残されていますが、これは当時、琉球王国では人頭税と呼ばれる、人数に応じた税金的な仕組みが存在したためで、そのため1名単位で住民の数が記録されていたことから、詳細な被害状況として現在まで残されています。
- この津波では、島の面積の4割が海水に沈み、平地に存在していた農地や家屋が壊滅的な被害を受けました。農地が破壊され、また塩害による影響が生じ、さらに多くの家畜を失ったことから深刻な食料不足が発生したり、家畜の死骸などを原因とする感染症が大流行するなど、その後の復興においても大きな課題を残しています。
- 実際、津波から100年後となる明治の初期においては、八重山諸島の人口は津波発生前の3割、約1万人程度まで減少しています。
この津波は股生じる
- なお、明和の大津波をもたらしたこの巨大地震は、海溝型地震ですので同じ場所で定期的に発生しています。
- はっきりとした結論は出ていませんが、おおむね600年間隔で大きな津波をもたらす地震が発生するという調査や、もっと短く150年から400年程度の周期で津波が生じているという調査などもあります。
- 次の地震がいつになるかは分かりませんが、八重山・宮古諸島においても、巨大な津波をもたらす大地震がいつ発生してもおかしくない、そうした認識で揺れたらすぐに避難をする、そうした意識を持っておくことが必要です。
本日も、ご安全に!
ということで、本日は「明和の大津波」のお話でございました。
それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!