Voicyそなえるらじお #790 風の松原と大規模火災…秋田県能代市で生じた2度の大火
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執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、2月20日(火)、本日も備えて参りましょう。
冬の火災
本日のテーマは「能代大火」のお話です。
- 昨日2月19日は、神戸市の長田消防署が主催する防災講演会で、企業における災害時の初動対応についてお話をさせていただきました。
- 冬は火災の季節、消防も緊張感の溢れる時期となりますが、本日は秋田県能代市で生じた2つの大規模火災のお話です。
風の松原
- 秋田県能代市、秋田県の北部に位置する秋田県北部地域の中心都市で、日本海に面した市です。市の中心部を米代川(よねしろがわ)が流れています。
- 能代市は、街の西側が日本海に面していますが、市街地と海岸の間には広大なクロマツによる防風林が広がっています。東西1キロ・南北14キロに渡って、約700万本のクロマツが植えられており、日本最大級のマツ林を形成しています。
- この防風林は「風の松原」という名称がつけられていますが、能代の海岸は昔から風が強く、砂による家屋や農地の埋没、街を流れる米代川の閉塞などの被害が生じていました。これをなんとかしようと、江戸時代の中期に地元の有力者による植林が始められ、これが日本最大のマツ林、風の松原の誕生につながっています。
- 一方、風の強い地域においては、度々大規模な火災が発生してきました。能代市では、昭和時代に2度の大火が生じています。1949年(昭和24年)2月20日の大火、そして1956年(昭和31年)3月20日の大火です。
- この大火を忘れないようにと、能代市では2月20日を「昭和24年大火の日」、3月20日を「昭和31年大火の日」に制定して、毎年火災予防に関する啓蒙活動が続けられています。
能代大火
- 秋田県能代市で生じた1回目の大火は、1949年(昭和24年)2月20日の深夜、0時35分頃に出火しました。後からの調査で、ストーブの火の不始末が原因と推定されています。
- 火災が発生する前日から風が強く、当日には平均風速13m/s、最大風速18m/sという、台風並の強風が吹き荒れていました。火災が強く警戒される条件であったため、消防ではポンプ車のサイレンを鳴らして市内を巡回させ、火災に対する注意を促していましたが、この巡回の消防車が通過した直後に、火災が発生してしまいました。
- 防災に対する促しをしても、受け取り側が注意行動を起こさなければ、なんの意味も無いということが痛感されます。この火災は、すぐ近くに消防車がいたため初動が早く、無事に消火しかけたものの、強風に煽られた火の粉が周辺に飛び火し、同時多発的な火災に発展しました。
- 当時の能代市には3台のポンプ車がありましたが、同時多発火災に対処することが出来なくなり、その後も周辺の街から消防車の応援が駆けつけましたが、強風に煽られて広がる火災に対する消火活動が間に合わず、最終的に7時間ほどをかけて市内の広い範囲を消失させる大火となりました。
- 被害の状況としては、死者3名、負傷者132名、建物2000棟が消失し、9000名近い方が被災し焼け出されることになりました。
- 当時の能代市街地の4割が火災で焼失し、住宅だけでなく多くの工場や産業の建物を始め、市役所、警察署、裁判所、郵便局、複数の銀行や病院などが軒並み焼失し、復旧に大きな影響をもたらしたということです。
- 基幹産業の多くを失い、市民生活の復旧にはかなり手間取ったと言うことですが、焼失した市街地については大規模な区画整理や防火設備の設置などを含む復興が急ピッチで行われ、火災から5年後となる1954年には「復興祭」が執り行われ、復興に関する一旦の区切りとされたそうです。
第2次能代大火
- ところが、能代大火から7年後、街の復興をお祝いした復興祭から1年半後、1956年(昭和31年)3月20日、能代市は再び大火に襲われます。
- この日も7年前の火災時と同じく強風が吹いており、台風並みの暴風となっていました。夕方17時過ぎに市内で火災が発生し、これを消防が鎮火させて大火を防いだのですが、その夜22時55分、2件目の火災が発生しました。
- 消防のホースは布製ですが、当時は1回使うと固くなってしまい、すぐに2度目の使用をすることが困難な状態でした。そのため1回目の火災への対応が終わった直後の2件目の火災について対応が遅れ、強風により広がる火災を抑えきれなくなってしまったのです。
- 火災は次々に広がり、周辺の自治体からも多数の応援が行われましたが、風の吹く方向に次々と延焼、出火から約8時間後、朝7時半にようやく鎮火されました。
- 2度目の大火では、焼失した面積こそ7年前の大火の4割弱程度でしたが、住宅の密集地域が火災に襲われたため、約1500棟の建物が焼失し、被害の規模としては1度目の大火に迫るものとなりました。
- しかし2度目の大火では、市役所を始め市の重要施設が火災を免れたため、前回の経験も生かされた復旧が素早く行われ、市民生活を支えつつ、直ちに街の区画整理案が策定され、碁盤の目のような市街地が作られました。
- 現在の能代市の地図を見ると、JR能代駅の西側に広がる市街地には、大きな道路が通り区画が綺麗に整理されていることがよく分かります。
- 火災の影響を受けていない周辺の地域は、昔から続いているであろう路地などが入り組んだ街並みになっており、確かに2回の大火は大きな被害をもたらしましたが、火災に強い街をきちんと作り上げたことは素晴らしい成果ですし、今後日本各地で生じるであろう水害や大地震からの復興においても、ピンチをチャンスに変えることをきちんと行わなければならならい、という教訓になっています。
本日も、ご安全に!
本日は「能代大火」のお話でした。
それでは皆さま、引き続き、ご安全に!