Voicyそなえるらじお #937 安全マニュアルは飾りじゃない…東海村JCO臨界事故から25年
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執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、9月30日(月)、本日も備えて参りましょう!
安全マニュアルは遊びじゃない
本日のテーマは「東海村JCO臨界事故」のお話です。
本日2024年9月30日は、1999年に発生した、東海村JCO臨界事故からちょうど25年を迎える日です。日本国内で初めて、事故による被爆で死亡者を出した事件について振り返りたいと思います。
事故の概要について
1999年(平成11年)9月30日の午前10時35分、茨城県東海村にあった核燃料加工会社「株式会社JCO」の事業所内で事故が発生し、約20時間にわたって大量の放射線が放出される事故が生じました。
この事故は、地震や水害などの自然現象によって生じたものではなく人災でした。作業を効率化するために、マニュアルで定められていた正しい手順を守らず、やってはならぬ作業を行ったことで生じた事故でした。
この事故により、現場にいた作業員3名のうち2名が数ヶ月以内に死亡、近隣の住民も命や健康に支障が生じないレベルではありましたが500名以上が被爆をする被害となりました。
発電の仕組みについて
ここで発電の仕組みについておさらいをします。世の中に存在する発電機の多くは、何かの力で発電機を回転させることで電力を発生させます。水力発電は水の力で、風力発電は風の力で、波力発電は波の力で、人力発電は人間の力で、発電機を回転させています。
一方、火力発電、地熱発電、原子力発電は、基本的に燃料でお湯を沸かして、そのお湯、厳密には水蒸気をタービンにぶつけて発電機を回転させています。火力発電の場合は石炭、石油、天然ガスなどを燃やしてお湯を沸かしますし、地熱発電は地熱によりお湯を沸かして水蒸気を発生させます。
そして原子力発電の場合は、ウランやプルトニウムといった核燃料による「核分裂反応」と呼ばれる現象により、大量の熱を発生させ、これでお湯を沸かして水蒸気を作り、発電機を回転させています。原発というとたいそうな仕組みに思えますが、実際には巨大な湯沸器であるということですね。
ところが、核分裂反応というものはなかなか狙って起こすことが難しく、核分裂をしやすい燃料を、核分裂をしやすい形に並べて、さらにそれ核分裂しやすい場所に設置するなど、核分裂のお膳立てをする必要があります。
自然界でこうした条件を満たすことは難しいため、基本的に核分裂反応は人間が意思を持って行おうとしなければ生じない現象です。原子力発電所は、この核分裂反応を行いやすくするための巨大な施設と言えます。
JCOは何をしていたか
さて本題に戻ります。東海村にあった核燃料加工会社JCOは、核分裂を行うための核燃料を製造する会社でした。臨界事故は、この燃料を製造する過程で生じた事故でした。
本来の手順では、「硝酸ウラニル溶液」という物質を、定められた容器に入れて作業を行うことになっていたのですが、作業がしづらいということで「裏マニュアル」と呼ばれる違法な手順書が作成され、本来使用してはいけない容器を使って作業が行われました。
この時、ステンレス製のバケツで、硝酸ウラニル溶液を運んで、使ってはならない容器にバケツの中身を注ぎ込んでいたのですが、この硝酸ウラニル溶液の量が一定を超えた瞬間、青い光が発生、臨界状態となってしまったのです。
ちなみに、核分裂を描写するさいによく登場する「青い光」は、「チェレンコフ放射」と呼ばれる現象で、原子力発電所では核燃料が収められている冷却プールの中などで観測される現象です。
核分裂をしやすくした燃料を、核分裂をしやすい入れ物に、核分裂が連続する量入れてしまったことで、核分裂反応が持続する「臨界状態」に至ってしまいました。この事故のことを、バケツ臨界事故などと揶揄することもありますが、実際のところ、本当にバケツで核燃料の材料を人が運び、それを大きな容器に流し込み、そして臨界状態となり青い光が発生する、余りにも笑えない、最悪の人災であったと言えます。
事故の影響
この臨界状態により、本来は厳重に管理されている原子炉が、その辺の作業場に突然出現してしまう状況となりました。簡易的とは言え、原子炉は原子炉です。ウランの核分裂が持続する臨界状態となったことで、大量の中性子線が発生し、これを至近距離であびた作業員2名が死亡、1名が重傷を負いました。
通常の原子力発電所であれば、この原子炉は二重三重の防壁で覆われていますので、放射線が外部に漏れることはわずかもありません。しかしいわばバケツの中で臨界状態となっている状況ですので、放射線を防ぐ壁などが全く存在しない状態となり、JCOの建物内部だけでなく、敷地の外にも中性子線が到達する状況になりました。
JCOの建物周辺には、多くの民家が存在し、さらに高速道路やパーキングエリアなども存在し、大至急事故を収束させつつ、周辺を封鎖しなければ多くの被爆被害が生じる状況になってしまったのです。
しかし、まさか人災により臨界事故が発生するというのは想定外であったため、事故の伝達や対応の初動が遅れ、JCOの事業所周辺、東海村に対して避難の呼びかけが始まったのは、事故発生から2時間が経過した後となりました。
その後、JCOの事業所から半径350m圏内の住民に対して事実上の避難命令が出され、半径500m以内の住民には避難勧告が、さらに半径10km圏内の住民約30万人には、家の窓を全て閉めて、換気扇なども止めるなどの対応を行った上での、屋内退避が呼びかけられました。また周辺の国道、高速道路は閉鎖、鉄道も運休となりました。
事故の対応と後始末
事故を収束させるためには、臨界状態となっている核燃料を減らすか、容器を変更するか、とにかく臨界状態が生じないように対処する必要があります。
しかし大量の中性子線が放出されている、いわば手作り原子炉に近づくことは命の危険を意味するため対応は困難を極めました。最終的にはJCOの社員が決死隊を編制し、致死量の放射線をあびる前に、数分で交代しながら作業を行うことで核分裂反応の連鎖反応を止めることに成功し、臨界状態の開始から20時間後、10月1日の早朝に、ようやく臨界状態は収束しました。
この事故の原因は100%人災です。正規の安全マニュアルを無視し、作業の効率だけを考えた裏マニュアルを作成して作業を行って生じた、生じるべきして生じた事故です。これは現場作業員だけの責任ではなく、会社ぐるみでの大きな問題でした。
その後、JCOは起訴・有罪判決となり、核燃料の製造事業取消も受け、現在は東谷への補償対応や関連事業を行う会社になっています。
ちなみにこの事故では、いわゆる放射性物質がばらまかれるというものではなく、すぐに消滅する放射線が20時間にわたって放出されるという事故でした。そのため、東海村のあった茨城県では一時的に農業・漁業・観光への影響が生じましたが、これは100%風評被害でした。過去も現在もこの事故の影響は全くありませんので、ぜひ茨城の食と観光を楽しんでいただきたいと思います。
本日も、ご安全に!
本日は「東海村JCO臨界事故」のお話でした。
それでは皆さま、引き続き、ご安全に!