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Voicyそなえるらじお #1224 防災と宗教は似ている…「その日」に備えるという共通点のお話

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最終更新日:

執筆者:高荷智也

Voicyそなえるらじお #1224 防災と宗教は似ている…「その日」に備えるという共通点のお話

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、12月9日(火)、本日も備えて参りましょう!

「いつかその日」への備えに見る、世界の戒律と日本の防災

本日のテーマは、『防災と宗教』についてです。

※Geminiを使用して原稿を作成しています

私たちの防災対策がなかなか続かない最大の原因は、大災害という「いつかやってくる、しかし、いつかはわからない未来」に対する心構えの難しさにあります。この困難さを乗り越えるヒントは、実は世界中の宗教が持つ「終末」や「最後の審判」といった思想、そしてそれに対する日々の「備えの姿勢」に隠されているのではないか、と私は考えました。そこで今回は、AIアシスタントのGeminiを使って、古今東西の「その日」への備えを調べてみました。キリスト教やイスラム教の規律、ヴァイキングの訓練、そして日本の仏教・神道の教えから、私たちの家庭の防災をより強固なものにするための極意を探ってまいります。


防災と世界の宗教

家庭の防災は、なぜこんなにも継続が難しいのでしょうか。

それは、大災害が「いつかやってくる、しかし、いつかはわからない」という不確実な未来に存在しているからです。この不確実性が、「まだ大丈夫だろう」という心の緩みを引き起こします。

この「いつかやってくる、避けられない重要な日」に対する姿勢を考える上で、Geminiを使って世界の終末論的な思想を調べてみたところ、非常に強力な対比軸が見えてきました。

世界の一神教に見る「審判の日」への日々の備え

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教といった一神教には、「審判の日」や「最後の時」といった、必ず訪れると信じられている絶対的な未来の概念があるそうです。

信者にとって、「その日」のために備えるべきことは、「日々の規律正しい生活」と「信仰に基づく善行」の継続だそうです。

例えば、イスラム教の「五行」にある「サラート(礼拝)」は、一日に五回、決まった時間に行われます。この日々の繰り返し、決まった時間に行動する規律は、防災における「備蓄品の定期的なチェック」や「避難経路の確認」といった、「やらなければならないことを習慣化する力」に直結すると言えるでしょう。

また、キリスト教における、特に修道院などで守られてきた「日々の規律正しい生活」も、防災の継続性を考える上で参考になります。これは、「時間厳守」や「労働」といった、生活全体が時間の規律で満たされていることを重視するものです。このような習慣によって、突発的な事態にも冷静に対応できる精神的な準備が整う、ということだそうです。大災害という非日常にこそ、日々の規律で鍛えられた冷静さが求められます。

北欧神話に見る「ラグナロク」への訓練

次に、北欧神話のヴァイキングの「その日」を見てみましょう。ヴァイキングは、主に8世紀末から11世紀頃にかけて、北欧からヨーロッパ各地へ航海し、貿易や略奪、植民活動を行った人々です。

彼らにとっての「その日」は、世界が終わりを告げるラグナロク(神々の黄昏)だそうです。

ヴァイキングの戦士は、戦場で勇敢に死ぬことで、主神オーディンの宮殿「ヴァルハラ」に招かれます。彼らはヴァルハラで、毎日宴会と模擬戦を繰り返します。それは、「ラグナロクが来たときに、神々のために戦う最高の戦士として、日々体を鍛え、備え続ける」という、明確な目的を持った訓練だそうです。

彼らの目的は、「来るべきその日のために、最高の状態を維持すること」でした。

これは、私たち現代の防災における「定期的な訓練」の重要性を端的に示しています。私たちも、大災害という「その日」に、家族や隣人のために動ける「最良の自分」である必要があります。この最良の自分を維持するために、「今日、家具を固定する」「今日、備蓄をチェックする」「今日、地域の危険を確認する」という、日々の訓練と準備が欠かせません。

ちなみに、このヴァイキングたちの時代を背景に、彼らの一部が後にヨーロッパ人として初めて北米大陸にたどり着いたという歴史的な事実をモチーフとした、大変オススメの漫画があります。それは、『ヴィンランド・サガ』です。この作品は、ヴァイキングたちの戦いの物語を通じて、主人公が「戦いのない理想郷(ヴィンランド)への備え」を探求していく物語だそうです。防災を考える上で、この作品が描く「真の平和への備えとは何か」というテーマは、私たちに多くのヒントを与えてくれるでしょう。ぜひ手に取ってみてください。

日本の仏教・神道に見る「無常」への覚悟

そして、日本の仏教や神道における「その日」への備えの姿勢です。

仏教の教え、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」。この世の全ては移り変わり、永遠に続くものはない、という真理だそうです。これは、「平和な日常はいつまでも続かない」という、防災における最も重要な前提と完全に一致しています。

そして、この無常の教えから派生する、「足るを知る」という考え方。この言葉は、元々は古代中国の思想家、老子が残した言葉で、「知足(ちそく)」とも呼ばれ、必要以上に物を求めず、今自分にあるもので十分だと知り、満たされるという心の持ち方だそうです。

防災においても、あれもこれもと備蓄品を過剰に増やしたり、不安に駆られて情報を追い求めたりするのではなく、「最低限の備えと、冷静な判断力があれば、私は乗り切ることができる」と、自分自身の備えに自信を持ち、心の安定を図ることは非常に大切です。「足るを知る」精神は、不安という精神的な災害から私たちを救ってくれるのです。

また、日本の神道における備えの姿勢は、「自然の荒ぶる力(荒御霊・あらみたま)」に対する畏怖と、それに対する「清浄さ(きよらかさ)」の維持にあるそうです。

神道的な考えを防災に置き換えるならば、「住環境を清浄に保つこと」、すなわち、倒れやすい家具や散乱した物を片付け、「家の中の危険を排する」ことが、「災害という穢れが入り込む隙をなくす」という、日々の規律正しい生活に他なりません。


世界のあらゆる信仰や思想は、「いつか必ずやってくるその日」のために、今日という一日をどう生きるかを教えています。この教えは、「人間の理性が導き出した、継続的な行動を支えるための強い精神的な柱」なのです。

「まだ大丈夫だろう」という油断の心に打ち勝ち、「その日のために、最善の自分であり続ける」という信念を持つこと。そして、防災を単なる「面倒なタスク」としてではなく、「命を守るための、日々行うべき、尊い戒律」として捉え直すこと。これこそが、私たちが学ぶべき、防災と宗教の共通の極意と言えるでしょう。

本日も、ご安全に!

本日は「防災と宗教」のお話でした。

それでは皆さま、引き続き、ご安全に!

サイト管理者・執筆専門家

高荷智也(たかにともや)
  • ソナエルワークス代表
  • 高荷智也TAKANI Tomoya
  • 備え・防災アドバイザー
    BCP策定アドバイザー

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